chinapyonの闘病日記と道標

パニック障害・鬱病と闘う日々の記録と、その道標を見つけ出すために綴ります

入院するきっかけ①

皆さまこんにちは😊

看護師さんにお散歩に連れて行ってもらえて喜んでいるchinapyonです🌸

 

 

今日は入院するきっかけになった出来事(前編)をお話ししようと思います。

 

遡ること約二年前。

当時高校三年生だった私は、大学受験に向けて一日のエネルギーを全て勉強に使っていました。

中学受験をして入学した中高一貫校は、一応進学校で、一つでも上の大学を目指せと中学の頃から耳にタコができるほど聞かされていましたし、自身もそう思っていました。

 

高校二年生までは、クラスの仲間は切磋琢磨していたので、良きライバルであり、良き理解者でもありました。

少なくとも私はそう思っていました。

 

でもそんな関係は高校三年生になって変わってしまいました。

受験日が近づくにつれ、ピリピリしていく教室の雰囲気。

ある時は見せつけのように好成績の模試結果をロッカーの上に放置しておいたり、またある時は周りを焦らせるかのように高難度の大学の赤本を机の上に置いていたり。

お互がライバルどころではなく、敵であるかのような存在になってしまったんです。

 

優しかったあの子が意地悪をするようになってしまった。

私の大好きだったクラスの仲間が変わってしまった。

ショックでした。

 

六月頃から、朝教室に入ると吐き気がしてトイレに走り、SHRに間に合うように帰ってくる、ということが一週間続きました。

 

次第に教室の雰囲気に耐えられなくなり、教室に入ることが怖くなってしまいました。

 

そしてある日、頑張って頑張って耐えていた細い一本の糸がぷつんと切れたかのように、私は教室に入ることをやめ、心を閉ざしてしまったのです。

 

高卒認定を取得して退学することも考えましたが、六年間お世話になったこの学校を卒業したいと考えました。

 

それからが大変でした。

卒業するためには単位が必要です。

それはすなわち学校へ行って授業を受けることを意味します。

心のエネルギーがゼロになる前に両親にお迎えに来てもらうようにして、授業に参加し始めました。

簡単に授業に参加した、と言いますが、初めは担任の先生に腕を引っ張られながら、泣きじゃくりながら教室に入りました。

とてもとても怖かったんです。

授業に参加しなくなった私を「受験から逃げた」と思われているんじゃないか、はたまた、「敵がひとりいなくなってラッキー」だと思っているのではないか、あるいは、そんな私の存在すらどうでもよくなっているのではないか、と。

 

席をドアからいちばん近い位置に移動させてもらって、授業が終わると走って担任の先生の元へ帰る、という学校生活を送りました。

 

それでも心のエネルギーが保つのは、調子が良くて三限目まででした。

 

次第に心の不調が身体へも影響し始めました。冷や汗がと手の震えが止まらなくなって、息が苦しくなり、動悸がして倒れてしまう、ということが増えたのです。

 

 

今日はここまでにしましょう。

 

心から身体へ。

「病は気から」と言いますが、本来の意味は心のバランスが崩れてしまったから、身体のバランスまで崩れてしまう、ということなのではないかと思います。

 

次回は、心も身体も壊れてしまった状態で、起こった出来事をお話ししようと思います。

 

 

5月11日のお花は『ディモルフォセカ』です。

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花言葉:いつも元気なあなた

 

こんな状況だった時も、私は家族の前では明るく元気に振る舞っていました。

「元気じゃない娘」を見せたくなかったのです。

結果的に、それも自分自身を苦しめるひとつの要因になっていたのですが。。

 

誰だって大切な人には元気でいてもらいたいですよね。

元気でさえいてくれれば、とも思います。

 

 

🌸chinapyon🌸